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読者の皆さん大変ご無沙汰しております。いかがお過ごしですか?昨年中には新聞を出したかったのですが、我が栗原家にとっては、試練の年でした。母が過労でダウンし僕と母と親子で十月から十二月まで約二ヶ月聖路加国際病院に入院していました。僕は、病気ではなく中心で介護をしている母がダウンし介護者不在のためレスパイトケアで入院していました。
母は、夏頃から急激に体調を崩しほとんど食事を受け付けなくなり、一ヶ月で体重が減ってしまいました。
無理もありません。長年連れ添った父が亡くなったショツクと十一年間病気で病んで入院退院を繰り返し僕と父の介護、世話に追われ後ろも右も左も振り返ることも見ることも出来ず全力で立ち止まる余裕なく走り続けてきて、精神的にも肉体的にも限界になり張りつめていたものが、切れてしまったのでしょう。
そしてダウンして入院になってしまいました。一方僕は、入院初日にアクシデントがあり右足の膝を亜脱臼しショックと痛みでつらかったですが、母が退院出来るまでなんとか有志の学生ボランティアさん、介護人の皆さんがなるべく二十四時間一人にせずにシフトを組んで下さったおかげで何とか乗り越えることが出来ました。
一時は、どうなってしまうか分かりませんでした。僕は、ケガはするは、母は、いままで見たことないような顔色をしていて、死んでしまうのではないかと不安に押しつぶされそうになりましたが、一番辛いのは、母なのだから、僕がしっかりしないといけないと毎日心の中で、言い聞かせていました。
そして月日が経つにつれ完全回復まではいきませんがなんとか、先生方、看護婦さん、ボランティアさん、付き添いの方、近所の方のご協力で無事に、家族そろってクリスマス、大晦日、お正月を自宅で過ごすことが出来たことを感謝感激しております。
読者の皆さんも体調に気をつけてお互いに過ごしていきましょう。
平成十四年 三月
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私は文章を書くのが苦手なので、今回はパスしようと思いましたが、栗原新聞を発行して60号なので、親子の会話を書きます。
母「いつまでパソコンをしているの、もう3時間半よ。いいかげんにやめないと、熱が出るでしょう」
征史「もう少しで終わるよ」
母「新聞なんか発行しても、何も変わらないよ。生意気ぐらいで、にらまれてしまうよ」
征史「うるさいなー、何もしないよりも、自分の考えている事を、みんなに伝えたいんだ」
母「あーそう、それで世の中少しでも改善されれば良いけれど、まあー無理ね」
征史「お母さんは、どうしてそう悲観的なの」
母「病気してから変わったの、それはね、テレビを見ていても事故や事件とか、起きてから、マスコミが騒ぎ出しこうなる前に、なんとか出来なかったのか、話しているだけで現実は、誰にも何にも出来ないから」
征史「お母さん、僕の夢をこわさないで」
母「ごめんね疲れているの、とにかく小学校6年生から始めたくりちゃん新聞60号おめでとう」
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人間は、どんな境遇の中でも、生きている事だけでも、必ず意味がある
しかし最近思う事があるいきている事は、ただ単純なことかもしれない
学び、働き、おこり、泣き、笑い、さわぎ、食べて、飲んで、おしっこして、うんこして、
これが生きている意味かもしれない
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長年の夢だった野球のジャイアンツの松井選手に会うことができました。松井選手はジャイアンツの4番でスター選手だからスケジュールがいっぱいで会うことは無理だと半分あきらめかけていましたが、1冊目の本(神様に質問)の出版から付き合いがある男性ボランティアの藤田さんだったら今までの僕の夢の実現に力を貸してくださった方だし交渉するのも上手だから、直接球団事務所に行っていただきたいとお願いをしました。
藤田さんは大手町の商社に勤めている人で、そこから歩いてすぐの所に球団事務所があるのでそれに母の友達の知り合いからの働きかけもありついに何回も交渉していただいた結果、昨年の五月二十二日ヤクルト戦東京ドームでアクシデントがないかぎり面会してくださることになりました。
東京ドームに着いたらフロントの方がベンチ裏の控え室に案内してくれました。待っている間心臓が口から飛び出すほどドキドキし緊張しました。
フロントの方から長嶋監督のミーティングが長引いているからもうちょっと待っていくださいと言われますます緊張し本当に会えるのか不安にもなりました。
ついに試合開始三十分前に松井選手が「どうもこんにちは」と現れました。松井選手を目の前にした第一印象は、ジャイアンツのユニホームがとても眩しくとにかく体がでかい、顔の大きさがとにかく普通の人の倍以上でかい、肩幅も広い、胸の厚みがすごく厚く、おしりも大きく、太ももの大きさも普通の人のウエストくらいありました。全身が筋肉でたとえは悪いけれどこの世のものではない怪獣ゴジラ松井秀喜そのものでした。これだけの体をしているのだからあれだけの大きいホームランが打てるのだと納得しました。
とても気さくな方で僕の手を握り「頑張ってください」と言いました。自分も「今日の試合に活躍してください」と言ったつもりだったけれども感謝感激でよく覚えておりません。すぐに守備練習があるため数分で去って行きましたが写真をとったりサインをしてくださいました。
今までにジァイアンツファンでいてこれほど幸せだと思ったことは、ありません。これからも、強くとも弱くとも応援し続けます。
ついでに三塁側の廊下を通って来たのでヤクルトの選手を見かけることが、出来ました。試合のほうは残念ながら負けてしまいましたが、こんな夢のような機会を与えてくださった皆さんに感謝しています。
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昨年の九月にオープンしたばかりだというのに、無謀にも東京ディズニーシーに行って来ました。本当は、ディズニーランドにいく予定でしたが、どうせ行くなら東京ディズニーシーに行く事にしました。
前日に母が体調を崩し行けなくなったので、ボランティアの看護学生さんだけで行って来ました。正直にいうと不安でしたが、看護婦のタマゴが四人も行くのだから、大丈夫だと思い言い聞かせました。人工呼吸器を装着してから初めて母の付き添いなしで外出するのも自立をするよい機会だし、冒険してみました。
交通は、いつものリフトハイヤーで行きました。ディズニーシーに近付くにつれ平日だというのに家族連れが一杯で高速道路が渋滞してなかなか目的地に到着しませんでした。どうして平日だというのに家族連れとカップルがこんなにいるのだろう、学校は?仕事は?どうしたのだろう不思議だ!
そしてついに東京ディズニーシーに先入一番はじめに目に飛び込んで来たのは、地球儀の何倍ものでかさで、地球が回って水が大量にながれているものでした。
中に入って一番印象的だったのは、一言でいうと日本ではなくヨーロッパ風で、真中付近に湖みたいな大きな海が広がっていて、真正面にディズニーランドのシンデレラ城と同じ高さと言われている火山が立っておりました。
さていよいよ各アトラクションを回り始めましたが、どこもかしこも行列で1時間待ち2時間待ちで見ることが出来ず、船しか乗れませんでしたが、とても景色がきれいでした。車椅子利用者が見たり乗ったりするものは限りがあるのだから、少しくらい融通をきかせてくれてもいいのにと思いました。
しかし、オープンして一ヶ月も経っていないのだから、ここに来れただけでも良かったと思わなければいけません。
そろそろお腹が空いてきたのでレストランを探し始めたら、ショーが始まり空いているかと思いましたが、これまた行列でやっとの思いで食事にありつけました。
ディズニーシーの感想は、大人向けで、アトラクションもハードなものが多く、子供にはつまらないと思いました。ランドのほうが良いのでは。ただ設備はバリアフリーがきちんと整備され、不都合はありませんでした。ただ坂道が多かったのが難点でした。
今回の一番の収穫は、母の付き添いなしで行けたことが大きな自信になりました。また行こうと思っております。
協力してくださった皆様ありがとうございました。
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今回の入院は、いろんな事を考えさせられる入院でした。高校卒業しいきなり在宅生活になり今年の四月でまる十一年、気管切開し人工呼吸器を装着してからの生活は五月でまる七年がたちいままでダウンしないほうが不思議なくらいで、常に年中無休二十四時間コンビニ介護をやっていたのだから、精神的にも肉体的にも限界になりダウンして当たり前です。それで、僕自身反省することがたくさんあります。母の異変に気づいていながらも何もできずにいた自分に腹が立ち罪深い人間なのだろうかと苦しみました。いまもそうですが、なぜもっと早く聖路加病院の主治医の岡安先生にお願いしてレスパイトケアで入院をお願いしなかったのか。それに、まわりの方にも反省してほしいことがあります。
うちは、ボランティアさんがたくさん入っているしヘルパーさん(介護人)が、入っているから大丈夫だろうと、各関係者が、父が亡くなり落ち込んでいる母に、きちんと気をつけて心のケアを含めたバックアップをしてこなかったのか。余裕がないから家族のことまで手がまわらない現状は理解出来るが、それが悲劇を生むのです。よく新聞や報道で、介護疲れを悔いに無理心中してしまうという最悪な結果を見たり聞いたりします。こういう取り返しのつかないことが、起こるということを認識すべきです。
その中で、唯一母の異変に気付いていたのは、聖路加病院の訪問看護科の看護婦さんと岡安先生、ボランティアさんでした。
ある日看護婦さんが、介護をするのは限界と判断したのでしょう。「お母さんこれ以上介護を続けていたら大変なことになってしまうし、私達ほっとく事は出来ない」といわれ、母が岡安先生に「もう介護を続けていくのは限界なので、征史を預かってください。」とお願いしましたら先生は、どうやら母がそれを言うのを待っていたらしく、お母さんも入院が必要といわれ親子で入院となったのです。
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我が家に愛犬ポポがやって来てまる十四年
我が家の楽しいこと 辛いこと 悲しいこと
いろんなドラマをみてきた もしも犬が会話出来たら
どんなにいいだろうな、家族のこと
どう思っているのか聞いてみたい
でもポポは目で意思を伝える
お腹が空いた時の目 歳歩に行きたい時の目 嬉しい時の目
怒っている時の目 悲しい時の目 目を見ているとポポの喜怒哀楽が分かる
ときどきポポに見つめられると 心の中奥深く見られているようで
ドキッとする
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僕は、自立して独立することを考えています。そのためには、都や区に働きかけて都営住宅区営住宅一般アパートに住居を確保しなければなりません。現に自治体によって、八王子、府中ではやっているのです。それに、最近テレビで見ましたが、同じ病気の方で同じような状態で人工呼吸器を使用して自立して生活している人がいる事を知りました。
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自立していくわけですが、一人では生きていけないので、介護サービス・医療サービスを最大限利用し家事買物介護を二十四時間三百六十五日ヘルパーさん(介護人)訪問看護ボランティアさんの協力がなければなりません。一日も空白をつくることは、出来ないのです。
どうしても空いてしまう場合をどうするかが問題点になるのです。それこそ人工呼吸器が外れたり、たんが詰まったりしたら危険になります。一言、自立独立といっても現実的には、かなり厳しいですが、粘り強く各方面に地域で生きて死んでいきたいと訴えていかなくてはなりません。
話がだいぶ脱線してしまいましたが、入院中嬉しかった事、有り難かった事がありました。長い入院生活で病院食が飽きてしまったころに近所の方やKAさんやKOさんやTAさんからお寿司、ウナギの差し入れがあり、涙が出るほど嬉しかった。
それに学生さんに食べたい物をコンビニに買物にいって貰ったりと食事制限がないので好き勝手にしていました。家にいるより贅沢しておりました。
楽しかったことは、何回か外出出来たことでした。看護大学の文化祭やレストラン、スターバックスに行ったり散歩にも行くことが出来ました。
母に対して有り難かったことがありました。僕の主治医の岡安先生が外来の診察が終わった後で各階の患者さんの回診が終わってから、母の話を何回も聞いて下さいました。おかげで何とか乗り越えることが出来たと思います。もちろん他の先生、母の主治医の先生も聞いてくださいました。
岡安先生は、いつも偉いなと思うことがあります。 患者さんのことよりも患者さんを介護する家族に目を向けて話を真剣に聞いてくださったり、心配してくださったりしていることに対して、僕は先生を尊敬しています。常に冷静沈着でいられる先生は、凄いと思います。もちろん患者さんのことも大切にしてくださいます。
今回の入院生活は自分にとっても母にとってもこの先将来に渡っても必ずプラスになる経験だったと確信しております。ほんとうに皆さんに感謝いたします。
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10月28日(日) 3年 手塚
政井さんはいつも肌がきれいでうらやましいの。そんな彼女にビタミンCをもらった ? ?
ありがとう。うふ。さてはてきょうはカニューレ交換征史サンは朝からキンチョー気味。熱も少しだけあがってます。無事に終わりますように・・・。
それはそうと美和サンが心配なのです。大丈夫かしら・・・。はやく元気になって欲しいけれど無理は禁物です。お母さんも。征史さんも。心配だろうけど・・う〜ん・・。栗原一家に日頃とてもお世話になってるからこんな時ぐらいお役に立たなければって思う。
あ、真柄さんこんにちは。お仕事どうですか?お会いしたかったけれど・・・。ってゆーか征史さん、卒業されてもこうして皆さんがきてくれて嬉しいですね。いいですねそうゆうの・・
11月17日 2年 松林
22:00 ? 松林でーす。 先週は2年生死亡しそうな勢いだったねー。昨晩は珍しく9h位寝ました。でも今日も眠い。
23:00 消灯 おやすみなさーい。その前にお小水250
23:35 体交 なんか今日は「エリーゼのために」が激しくなってるんだけどどうしたんだ!?なんか先週は本当〜につらかった。これがナースになるための道か・・・って今やっと実感。冬休みが楽しみで仕方ない。先パイたちには頭が上がりません・・・なんかがんばれる自身がないよ〜ぅ。
6:00 おはようございます。 せいじさんはまだぐっすり・・・
夜ほとんどなにもしてないけど 私が起きれなかったわけではないよね!?(こないだは本当にそうだったけど) けっこう頻繁に起きてたつもりですが・・・?土曜日の夜だからか、Nsも全然見回りとかしないし病棟内はとても静か・・・
毎回ここに来るとこのノートを読むのがたのしくて?人それぞれ違うこと書いてておもしろいよね。せいじさんの入院の時ぐらいしかこのノートがこんなに書かれることってないから・・・
私が思うこと、入院は征史さんにとってはストレスだし、たのしいものでは決して無いだろうけど、あえて入院をいい方向でとらえるなら、今回はこの入院のおかげでみんなの意識が高まったし(ボランティアに対する)1年生から4年生、卒業生までノートを通したりしてコミュニケーションをとれることになったし、1年生は急激にケアの仕方を身につけることができたし・・・ね!一生懸命シフトをうめてここに足を運んで、みんなステキな人ばっかりだなあ?って(自分もその一員なんだけど)思います。
今までは同じせいじさんのボランティア仲間でもそんなに仲間意識なかったけど、今は特に2年生内ではお互いに「今日夜でしょ?がんばってねー。」とか「夜だったよね、おつかれさまー。」とか差し入れし合ったりとかもして、うわさの2年後期の大変さをみんなで励まし合ってがんばってるっていう感じです。1このグループみたいなそんな強い結びつきが今回のせいじさんの入院でできました。眠い目をがんばって開きながらかなり不十分なレポートや事前学習でも、きっと大丈夫だよ☆これからもみんなでがんばっていきたいね? な〜んて朝っぱらから語っちった
6:30 そろそろせいじさん起きるかなぁ?今日はともともが9:00〜来てくれるんだよね。ユウちゃんはバイトとバンドの練習がこの後あります・・・ハードだ〜!!
6:35 吸引
6:45 再び吸引
7:45 昼間担当のNs来室 そろそろ活動開始かな???
Nsに続けてチャプレンがいらっしゃいました。そっか、今日は日曜日なんですねすごーい病室に来てくれるのかぁ?
12月23日(日) 21:00〜里山
退院おめでとうございます。無事退院できたようで何よりです。でも2ヵ月以上入院していたからか、征史さんいわく家が「何かへん」ということです。やっぱり家が一番だと思うんですけどね、入院生活があまりにも長かったっていうことでしょう。という訳で、私自身もこの征史さんの家は久しぶりですね。征史さんが「何かへん」という一方いえは落ち着く、と人の家でくつろいでいる私って・・。 まあ、史さ退院したばかりできっとお疲れでしょう。 今日はゆっくり自宅の夜を満喫(?)してください。(意味分かんないコメントでごめんなさい) ただ今23:15.征史さんの部屋と居間の間のアコーディオンカーテンを閉め、明るいなかでこのノートを書いております。
(今回の入院中から退院直後までの征史さんとボラの様子を「ボランティアノート」から抜粋です。)
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くいとはなんだろう
くいを感じる人、感じない人、
あの時あの人に、もっとやさしくしてあげれば良かった
あの時あの人の気持ちを理解してあげれば良かった
あの時あの人の痛み、悲しみ、苦しみをわかってあげれば良かった
考えるときりがない
くいは残る
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3月にもんじゃを食べる会(4年生送別会)がおこなわれました。征史さんと後輩のみなさんに贈られ、送りだされたclass of 2002一同御礼申し上げます。いただいたディズニーのクッションとマグカップは抱きしめたりして大切に使わせていただいています。
感謝の気持ちをこめて関口が4年間を振り返っての感想を書かせていただきます!
ドキドキの1年生時代
1年生の時の春、何がなんだかよくわらないまま先輩に連れられて、初栗原家訪問。征史さんの声がなかなか聞き取れなくて困ったり、初吸引、初お留守番というドキドキの関門をくぐりぬけていく。次第に『征史さんと一緒にテレビを観たり、お母さんとおしゃべりしてまったり過ごす』のが楽しみになってくる。
後期に入って征史さんが体調を崩して入院したときに、一言では言い尽くせない、いろいろなことを考えた。同時にお父さんが入院生活を始まった。
バリバリの2年生時代
2冊目の本の出版でうきうきしながらも、家とお父さんの入院する病院を一日かけて往復するお母さんをはらはらと見ていたり、大学やサークルも忙しくなるしで、てんやわんや。大学の学園祭で征史さんの本の販売したり、出版記念パーティーをしたり、楽しいことも多かった。
お父さんが亡くなられた時に入院せざるを得なかった征史さん。本当に本当におとうさんを愛して大切にし続けたお母さんの姿を見させていただいた。
ふうふうな3年生時代
3年生になると前期は余裕があるはずなのになかなか征史さんのところに行かれない、後期は実習でなかなか行かれない。心の中で征史さんを近くに感じるようになったぶん、気がぬけてしまったのかな?なんて思い返す。
??な4年生時代
時間割には余裕があるはずなのに、心には余裕のない4年生。これからの将来のことを真剣に考えて決めていかないといけない時期だからね。長期休みにはボラが来なくなってお母さんに負担がかかってしまうこと、今までの長い疲れが身体にでてきてしまっていることを知っていながら、解決できなくてごめんなさい。入院中も退院後も「4年生だからこそできること」をそれぞれが考えて
頑張ったつもりです。
そして、これからは・・・
1年生の頃、上級生の人たちが征史さんと楽しそうに笑いながら会話しているのを見て「なんであんなにお互いに信頼しあって仲が良さそうなんだろう?」と疑問に思いました。きっと征史さんの気管切開、人工呼吸器装着までの決断やその後の身体と心の安定するまでの時期を一緒に過ごしてきたからなのだろうと思いました。 私たちは征史さんと一緒に、おとうさんの大変だった入院生活や召されたあとのつらい時期を過ごしてきて、それを通して大切な絆ができあがったのだと思います。歴代のボラたちが征史さんと栗原家の歴史を一緒に過ごさせていただいて、そしてとても大切な学びや関係を得ているのかもしれません。
みなさまへ
時には「重過ぎる」「もうだめかも」というボロボロな気持ちにおちいってしまうこともあるかもしれませんが、征史さんも栗原家のみなさまもボラ子たちもみんなそんな気持ちにもなりながらなんとかくぐり抜けて、再び青空を見て幸せと笑顔ををいっぱいつかんでいます。どうかこれからも頑張って、良い大学生活、ボラ生活をお過ごしください。
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編集後記
今回の新聞は内容的にもうひとつでしたが、昨年新聞の発行どころではなかったので、今年読書の皆様に通算60号を届けることが出来、ホッとしております。プロ野球も開幕し、今年はどういうわけか阪神タイガースが強く、ペナントレースが面白そうです。しかし最後に笑うのはジャイアンツです。それに今年はサッカーのワールドカップが日韓合同で行われる歴史に残る大会になると思います。
今からとても楽しみですね。
簡単ですが、読者の皆さん、体には気をつけてお過ごしください。
四月二十日
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